バラをくわえた男の、甘く切ないロックンロール
レコード棚の隅に、赤い薔薇をくわえた男の顔がこちらを見つめている。その写真はどこか滑稽で、けれど忘れがたい印象を残す。
それが『レッド・ローズ・スピードウェイ』──ポール・マッカートニー&ウィングスによる、1973年発表のアルバムだ。
ビートルズという神話が終わっても、ポールの中の音楽は止まらなかった。
むしろその終焉が、彼をより柔らかく、より自由に、そして時に不安定な道へと導いたのかもしれない。
このアルバムは、リスナーに“ポールらしさ”の本質を問いかける。華やかで、ポップで、でもどこか陰りのある旋律。
当時は「中途半端な作品」とさえ評されたが、時を経た今、その揺らぎこそがかけがえのない魅力となって甦ってくる。
再評価の波が静かに広がるこの作品を、もう一度、耳を澄ませて聴いてみよう。そこには、愛と迷いと、未来へのかすかな祈りが詰まっている。
この記事を読むとわかること
- 『レッド・ローズ・スピードウェイ』の全曲解説と制作背景
- 再評価される理由と2018年版の意義
- ポール・マッカートニー&ウィングス初期の模索とバンドの真価

『レッド・ローズ・スピードウェイ』とは?──アルバム概要と背景
1973年5月4日。ポール・マッカートニー&ウィングスの名義で発表された『レッド・ローズ・スピードウェイ』は、ポールにとってソロキャリア第2章の象徴ともいえる作品だ。
前年にリリースされた『ワイルド・ライフ』は賛否を巻き起こしたが、それでも彼は歩みを止めなかった。
本作はその反省と成長、そしてさらなる挑戦がにじむ一枚となっている。
当初、このアルバムはダブルアルバムとして構想されていた。
実験性と物量に満ちた構成案は、当時のレコード会社EMIによって「商業的すぎない」と判断され、結局シングルLPに縮小されてリリースされた。
つまり私たちが長年聴いてきたバージョンは、ポールが本来見せたかった全貌の“断片”だったのだ。
それでもアルバムは、アメリカのビルボードチャートで1位を獲得。
シングル「My Love」の成功もあり、ウィングスとしての立ち位置を確立する大きな足がかりとなった。
ヨーロッパでの評価は分かれたものの、北米市場ではポールの“再出発”が確かに受け入れられていた。
そして忘れてはならないのが、あのジャケット写真。赤い薔薇をくわえたポールのクローズアップは、挑発的でありながらも、どこか無防備で、哀しみすら感じさせる。
このヴィジュアルに映っているのは、ポップアイコンではなく、一人の人間としてのポール・マッカートニーだったのかもしれない。
再評価の理由|“未完成の傑作”から“愛される名盤”へ
かつては「まとまりに欠ける」「ビートルズ時代の陰に隠れた」といった声もあった『レッド・ローズ・スピードウェイ』。
だが、2018年にリリースされた「Reconstructed(再構築版)」によって、風向きは大きく変わった。
この再構築版は、当初のダブルアルバム構想に限りなく近づけた内容。
「Night Out」や「Tragedy」、「Best Friend」など、これまで日の目を見なかった楽曲たちが公式に収録されたことで、作品全体の“物語”がより明瞭になったのだ。
そして驚かされたのは、その完成度の高さ。
緻密に織られたメロディと構成、ジャンルの垣根を軽やかに飛び越える自由さ。
それは“単なるポップ職人”とされていたポールへの、偏見を覆すほどの説得力を持っていた。
また、この時代のポール特有の「家庭と音楽の融合」も、多くのリスナーの共感を呼んでいる。
リンダとの共作や、愛娘の存在が滲むような温もりのある楽曲たちは、聴く者の心を柔らかく包み込む。
それは“過小評価された作品”という肩書きを超え、“日常に寄り添う音楽”として再評価される大きな理由の一つだろう。
失敗や揺らぎを含んだまま提示されたこのアルバムは、まるで私たちの人生そのもののようだ。
だからこそ、多くの人が今、この作品に静かに惹かれていく。
全収録曲とその解説|『レッド・ローズ・スピードウェイ』の物語をたどる
アルバム『レッド・ローズ・スピードウェイ』には、9つの楽曲(組曲を含めればさらに多く)が収録されている。
その一曲一曲に、ポール・マッカートニーが“バンドマン”として、そして“家庭人”として模索した痕跡が刻まれている。
- Big Barn Bed
アルバムの幕開けを飾る楽曲。ポールの陽気さとバンドの即興的なグルーヴが光る。
「意味はないけれどノリがいい」──そんな曲がアルバムの第一声を担うことに、ポールの気負わぬ姿勢がにじむ。 - My Love
アルバム最大のヒット曲。ストリングスとピアノが美しく絡むラブバラードで、リンダへの愛を歌ったポールの真骨頂。
ギターソロの感情表現も圧巻で、ヘンリー・マカロックの即興演奏が永遠の名演に。 - Get On The Right Thing
元々は『Ram』時代のアウトテイク。ポップで軽快なリズムとコーラスが特徴的で、ウィングスのポテンシャルを感じさせる一曲。 - One More Kiss
カントリー調のラブソング。素朴でありながら、切なさを含んだメロディラインが心に残る。
ポールの“歌の小品”のセンスが光る。 - Little Lamb Dragonfly
7分を超える叙情的な組曲。愛と別れをテーマにした深い詩情が漂い、個人的な喪失感がメロディに刻まれている。
アルバム中でも特に感情を揺さぶる楽曲のひとつ。 - Single Pigeon
ピアノとホーンが軽やかに絡む短い楽曲。
“孤独な鳩”というモチーフに、どこか自身の孤独を重ねているような、寓話的な魅力を持つ。 - When The Night
ソウルとロカビリーの中間のような楽曲。ヴォーカルの力強さと、夜の情景が鮮やかに浮かび上がる。 - Loup (1st Indian On The Moon)
アルバム唯一のインストゥルメンタル。
サイケデリックでありながら空想的なサウンドが展開し、リスナーを音の冒険へと誘う。 - Medley: Hold Me Tight / Lazy Dynamite / Hands Of Love / Power Cut
アルバムの最後を飾る4曲連続の組曲。
「ポール節」とも言えるメロディが次々と展開し、まるでミュージカルのクライマックスのような華やかさがある。
別々の曲が一つに束ねられることで、アルバム全体に統一感と余韻をもたらしている。
こうして眺めると、『レッド・ローズ・スピードウェイ』はバラエティ豊かな楽曲群の集まりであり、ポールの音楽的な冒険心と私的な感情の両方が詰め込まれていることがわかる。
まさに“断片のモザイク”が織りなす、唯一無二のアルバムだ。
『My Love』が語るもの──リンダと共に歌った愛のかたち
『レッド・ローズ・スピードウェイ』を語る上で、避けて通れないのが「My Love」だ。
この曲は、ポールが妻リンダへの愛をそのまま音にしたようなバラードであり、ポールのビートルズ解散後の2曲目の全米No.1ヒットでもある。
優しく包み込むようなストリングスに、控えめながら確かな意志を持ったピアノ。
そして、サビで広がる“Whoa whoa whoa whoa”というシンプルな言葉には、言葉を超えた感情が込められている。
愛とは、ときに説明を要しない──この曲はその事実を静かに教えてくれる。
ギターソロもまた、語るべき存在だ。演奏したのは、ウィングスのギタリスト、ヘンリー・マカロック。
リハーサルで用意されたフレーズではなく、その場で自分の感情を注ぎ込んだ即興演奏だったという。
その自由さと情感が、まさに“愛の語り手”としての役割を果たしている。
この曲が持つあたたかさは、単なるラブソングにとどまらない。
リンダとともにバンドを組み、家庭と音楽の狭間で奮闘したポール自身の生き方が、旋律に滲んでいるからだ。
成功よりも、正しさよりも、自分の愛するものを信じ抜く姿勢──それが「My Love」の本質なのかもしれない。
その他の注目楽曲とアルバム全体の構成美
「My Love」だけが『レッド・ローズ・スピードウェイ』ではない。
むしろこのアルバムの魅力は、多彩な楽曲が並ぶ構成そのものにある。
オープニングを飾る「Big Barn Bed」は、どこか子供のような遊び心と、ルーズなバンド感が心地よい。
ビートルズ時代の「Two of Us」や「Why Don’t We Do It in the Road?」に通じる軽やかさがあり、リスナーを肩の力の抜けた旅路へと誘う。
そして中盤に登場する「Little Lamb Dragonfly」は、ポールの内面性が強く表れた一曲。
亡くなったペットへの思いと、自分自身の迷いを重ね合わせたとも言われるこの曲は、リンダとの生活がもたらした優しさと寂しさが共存する。
その繊細なコード進行とメロディは、まるで心のひだに触れるように鳴り響く。
アルバムの終盤、「Hold Me Tight / Lazy Dynamite / Hands of Love / Power Cut」の4曲を繋げた組曲形式のセクションは、ポールの作曲家としての野心を感じさせる。
一見バラバラな楽曲が、1つのストーリーを編むように組み上げられ、ポップスの新しい表現を提示している。
また、インストゥルメンタル曲「Loup (1st Indian On The Moon)」は、アルバムの中でも異色の存在。
当時のポールがどれほど音楽的に自由であろうとしたかを示す実験であり、のちの「McCartney II」などへの布石にも思える。
こうして見ていくと、『レッド・ローズ・スピードウェイ』は単なる「ポールの甘口ポップ」ではない。
むしろその雑多さこそが、時代のざわめきや作り手の迷いを映した鏡となっている。
ウィングスというバンドの始まりと模索
『レッド・ローズ・スピードウェイ』は、ウィングスというバンドがまだ“バンドになりきれないバンド”だった頃の記録でもある。
ポール、リンダ・マッカートニー、デニー・レイン、ヘンリー・マカロック、デニー・シーウェル
彼らは“ビートルズの次”という巨大な期待と重圧の中で、音を鳴らしていた。
ビートルズという神話を背負ったポールが、新たに築こうとした“家族的な音楽集団”。
その理想と現実の狭間で、ウィングスは試行錯誤を繰り返していた。
『レッド・ローズ・スピードウェイ』の中にも、その“バンドとしての未完成さ”が顔をのぞかせる瞬間がある。
例えば、ギタリストのマカロックが即興で弾いた「My Love」のソロは、ポールの管理下を超えた瞬間だった。
また、バンドメンバー間の方向性の違いから、レコーディング後に2人の脱退が決まるなど、内情は決して順風満帆ではなかった。
それでも、ポールはウィングスを諦めなかった。
彼にとってそれは、ただの“ソロ活動の延長”ではなく、家族を含めた「もうひとつの人生」だったのだ。
『レッド・ローズ・スピードウェイ』は、その決意と模索の真っ只中に生まれた、いわばバンドの産声のような作品といえるだろう。
番外編:同時期のシングルと「007」主題歌──“レッド・ローズ”の外側にあった輝き
『レッド・ローズ・スピードウェイ』と同じ1973年、ポール・マッカートニー&ウィングスは映画の世界でも大きな仕事を果たす。
それが、映画『007 死ぬのは奴らだ(Live and Let Die)』の主題歌の制作だった。

この楽曲の制作に至った背景には、ビートルズ時代からの盟友であるジョージ・マーティンの存在がある。
本作で映画音楽を担当したジョージ・マーティンは、主題歌の作曲をポールに依頼するというアイデアを提案した。
しかし、007シリーズのプロデューサーであるアルバート・R・ブロッコリは、当初この曲を女性シンガーに歌わせるつもりだったという。
それに対し、ジョージ・マーティンは冷静にこうアドバイスした。
「自分で歌わないと、ポールはこの曲を使わせないはずだ」
この一言が決定打となり、ポール・マッカートニー自身が歌う「Live and Let Die」が公式主題歌として採用されることとなった。
結果としてこの曲は、シリーズでも屈指の人気曲となり、ポールのキャリアにおいても象徴的な一曲に。
ドラマティックなオーケストラとロックを融合させたサウンドは、ジョージ・マーティンとの共作ならではの完成度を誇っている。
シングル盤のB面に収められたのは、アルバム未収録曲「I Lie Around」。元々2枚組で発表される予定だった『レッド・ローズ・スピードウェイ』のセッションで録音されたもので、この楽曲では、デニー・レインがリードボーカルを務めており、
バンドとしてのウィングスの多様性と、ポールの“支配しすぎない姿勢”が垣間見える一曲となっている。
つまりこの時期、ポールはアルバムにとどまらず、映画音楽やシングルというフォーマットを通じて、
新たな創作の可能性を次々に切り拓いていたのだ。
まとめ:時間が育てた名盤──『レッド・ローズ・スピードウェイ』が今、私たちに語りかけるもの
『レッド・ローズ・スピードウェイ』は、決して“完璧なアルバム”ではない。
でもその不完全さこそが、私たちの心に長く残る理由なのかもしれない。
1973年のリリース当時は賛否が分かれ、どこか「ビートルズの影を引きずった作品」として語られていたこのアルバム。
だが、それから半世紀近くの時を経て、今ではむしろ“ポール・マッカートニーらしさ”が最も色濃く表れた一枚として、静かに愛されている。
愛する人と作る音楽。家庭とバンドの間で揺れる心。
軽快なリズムの裏に潜む不安と孤独。
そのどれもが、ひとりの人間としてのポール・マッカートニーを浮かび上がらせてくれる。
バラをくわえた男は、ただのアイコンではない。
それは、音楽を通じて人生を語ることを選んだ、ひとりの“表現者”の顔なのだ。
そして『レッド・ローズ・スピードウェイ』は、その選択を私たちにそっと見せてくれる、赤い花びらのような作品である。
今こそ聴き直したい。
そして、自分の人生にもまた、こんなアルバムがひとつはあるのだということを、そっと思い出してみたい。
この記事のまとめ
- 1973年発表のポール&ウィングス名義アルバム
- 当初はダブルアルバム構想もシングル盤に縮小
- 代表曲「My Love」は全米1位の名バラード
- リンダとの愛や家庭の気配が随所に表現
- 組曲やインストなど多彩な楽曲構成が特徴
- 2018年の再構築版で本来の全貌が明らかに
- かつての評価を覆し“愛される名盤”に再浮上
- ウィングス初期の模索とバンドのリアルを記録
- 完璧ではないからこそ響く、人間味ある作品

