1969年に発表されたジョン・レノンとオノ・ヨーコの共作アルバム『未完成作品第2番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』は、ポップスの枠を超えた実験的なサウンドが詰め込まれた異色の作品として知られています。
本記事では、この前衛的な音楽アルバムの制作背景から収録内容、評価、そしてその芸術的価値について深掘りし、ジョンとヨーコの創作スタイルに迫ります。
この記事を読むとわかること
- 『未完成作品第2番』の収録内容と楽曲の意味
- ジョン・レノンとオノ・ヨーコによる前衛的な音の哲学
- 当時の評価と現代の再評価を通じた作品の価値

『未完成作品第2番』とは?概要とリリース情報
1969年に発表されたアルバム『未完成作品第2番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの共同名義による前衛的な音楽作品です。
本作は、レノンとヨーコが制作した“未完成シリーズ”の第2弾として、ザップル・レコードからリリースされました。
録音場所や形式も非常にユニークで、スタジオではなくライブ会場や病室といった場所での録音が中心となっています。
アルバムのA面には「ケンブリッジ1969」と題されたパフォーマンスが収録されており、これはケンブリッジ大学で行われた即興演奏のライブ音源です。
一方、B面にはヨーコ・オノが妊娠中に入院していた病室での音や、胎児の心音、無音の2分間などが収められており、「音楽」の枠を超えた表現が展開されています。
全体としては、ポピュラーミュージックの対極にある内容ながら、芸術的実験や個人の記録としての価値を感じさせる構成となっています。
1969年5月9日に英国で、同年5月26日に米国でリリースされ、当時は物議を醸しました。
しかし今日では、ジョンとヨーコの創作の一端を知るうえで欠かせない貴重なドキュメント作品として再評価されています。
アルバムの基本データと構成
『未完成作品第2番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが1968年から1969年にかけて録音した音源を収録した、全61分13秒の前衛音楽アルバムです。
レコードはA面・B面に分かれており、それぞれ異なる趣向で構成されています。
CD再発盤にはボーナストラックも追加収録されており、より深く作品世界を体験することができます。
| 1. ケンブリッジ1969 | 26:31 |
| 2. ビートル・ジョンにベッドは無い | 4:41 |
| 3. 赤ちゃんの鼓動 | 5:10 |
| 4. 沈黙の2分間 | 2:00 |
| 5. 放送劇 | 12:35 |
| 6. ソング・フォー・ジョン(ボーナストラック) | 1:29 |
| 7. マルベリー(ボーナストラック) | 8:47 |
「ケンブリッジ1969」は、ヨーコの叫びとジョンのフィードバックギターが延々と展開される前衛的な音響作品で、音による即興表現の極地ともいえる内容です。
「ビートル・ジョンにベッドは無い」は、新聞記事のような口調でヨーコが読み上げる詩的な作品で、ジョンの存在と周囲のプレッシャーを皮肉交じりに描いています。
「赤ちゃんの鼓動」では、ヨーコが妊娠中に病院で録音した胎児の心音が収められており、母性と命の記録という側面が強く感じられます。
「沈黙の2分間」は、音を排除することで「聴く」という行為を意識させる象徴的な楽曲です。
「放送劇」は日常の会話や環境音をコラージュした構成で、サウンドスケープ的アプローチが取り入れられています。
さらに、CD再発盤には「ソング・フォー・ジョン」や「マルベリー」といった、より短く内省的なボーナストラックも追加され、作品の感情的奥行きを補完しています。
ジョン・レノン&オノ・ヨーコによる前衛音楽の意図
『未完成作品第2番』は、商業音楽とは一線を画す「純粋な芸術表現」として位置づけられています。
ジョン・レノンはビートルズとして世界的成功を収めた一方で、既存のポップスの枠にとらわれない表現を求めていました。
その創作パートナーであり妻でもあるオノ・ヨーコは、元々が前衛美術家であり、音楽においても「音」や「沈黙」そのものを素材として扱う独自の哲学を持っていました。
このアルバムでは、そのような2人の美学が融合し、「音楽とは何か?」という根源的な問いが作品全体に貫かれています。
たとえば、叫び声やフィードバックノイズといった「雑音」が主役となる構成は、音楽の定義を意図的に破壊し、新しい感性を提案するものです。
また、胎児の心音や病室での無音の時間といった素材の選択には、「生」と「死」、「存在」のリアリティを伝える意図が込められています。
レノンはこの作品について「これは売るための音楽ではない」と語っており、商業的成功よりも自己表現の解放を重視していたことがうかがえます。
このように、本作は音楽の常識や形式を超えた、2人にとっての「芸術としての声明」であり、聴く者に深い考察を促す作品となっているのです。
「ケンブリッジ1969」や「赤ちゃんの鼓動」など、収録曲の魅力
『未完成作品第2番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』に収録された各楽曲は、どれも従来の音楽の常識を覆すような表現に満ちています。
とりわけ、A面の「ケンブリッジ1969」とB面の「赤ちゃんの鼓動」は、本作を象徴する重要なトラックとして知られています。
それぞれの楽曲が持つ個性と芸術的な意図に注目してみましょう。
「ケンブリッジ1969」は、ケンブリッジ大学レディ・ミッチェル・ホールでのライブ音源で、ヨーコ・オノの絶叫とジョン・レノンのフィードバックギターが約26分間にわたって展開される衝撃的な作品です。
観客の前でリアルタイムに繰り広げられたこの演奏は、「即興の芸術」として高く評価される一方で、不快感や混乱を覚えるリスナーも少なくありません。
しかし、この曲の核心は、制御されない感情とノイズそのものがメッセージとなるという表現にあります。
一方、B面に収録された「赤ちゃんの鼓動」は、ヨーコが妊娠中に入院していた病室で、胎児の心音をそのまま録音した非常にパーソナルなトラックです。
鼓動は規則的に響き、命の存在とともに聴く者の心に静かに訴えかけてきます。
この曲は、“命そのものを音として提示する”という、音楽史上でも極めて稀有なアプローチをとっています。
さらに、「沈黙の2分間」では、あえて音を排除することで、リスナーの意識を音の存在そのものへと向けさせます。
この“無音”という表現は、ジョン・ケージの「4分33秒」を彷彿とさせながらも、より個人的かつ感情的な文脈で語られています。
これらのトラックは、いずれもジョンとヨーコが求めた「現実の音」と「芸術の境界線を曖昧にする挑戦」の集大成とも言えるでしょう。
実験的なライブ録音が語る臨場感
「ケンブリッジ1969」は、1969年3月2日にイギリス・ケンブリッジ大学のレディ・ミッチェル・ホールで収録された完全なライブ音源です。
この楽曲において、ヨーコ・オノのボーカルは「歌」ではなく、叫び声・うめき声・咆哮という形で表現され、それに呼応するようにジョン・レノンはギターのフィードバック音やノイズを奏で続けます。
この演奏には、ジャズ・ミュージシャンのジョン・チカイ(サックス)とジョン・スティーヴンス(パーカッション)も途中から加わり、無秩序の中に有機的なグルーヴが生まれていく様子が圧巻です。
このセッションでは、楽譜も打ち合わせも一切ない即興演奏が行われており、リスナーはまるで会場に居合わせたかのような臨場感を体験することができます。
観客の戸惑いや息をのむような空気感、会場の空間音なども含めて、録音はリアルそのもの。
それはもはや“音楽”というより“出来事”と言った方がふさわしいかもしれません。
このライブ録音の臨場感こそが、本作最大の見どころであり、ジョンとヨーコが提示した「音のリアリティ」の象徴とも言えるでしょう。
鑑賞するというより、「体験する」ことが求められる異色のサウンドです。
B面で展開される「生活の音」の芸術化
本アルバムのB面は、オノ・ヨーコがロンドンの病院に入院していた際の録音を中心に構成されています。
ここでは、胎児の心音、無音の時間、日常の雑音などが素材として使用されており、ジョンとヨーコにとっての“生活そのもの”がそのまま作品となっています。
この試みは、音楽と生活、アートと日常の境界を取り払う挑戦でもありました。
たとえば「赤ちゃんの鼓動」は、ヨーコの胎内で育つ命のリズムを、音という形でリスナーと共有することで、“生の音”を芸術化しています。
また「沈黙の2分間」は、あえて音を流さず、静けさの中にある緊張や期待、喪失といった感情を喚起させる演出です。
この無音部分は、1968年にヨーコが流産したという背景を知ると、より深く意味が読み取れるようになります。
さらに「放送劇」では、テレビやラジオの断片的な音、病室での会話、環境音などがランダムにコラージュされており、個人の体験が音を通じて抽象化されていくプロセスが描かれています。
これらのトラックは、演奏というよりも録音という手段で日常を切り取る「音のドキュメンタリー」とも言える存在です。
ジョンとヨーコは、音楽スタジオではなく病室や現場の「その瞬間」にこだわりました。
その選択こそが、このアルバムを“生活の音”が芸術へと昇華された稀有な作品へと導いたのです。
病院での録音や日常音の活用──“サウンドアート”としての側面
『未完成作品第2番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』は、音楽というよりもむしろ「サウンドアート(音の芸術)」として位置づけるべき作品です。
とくにB面で展開される、病室での録音や環境音、無音などは、楽器による演奏とは異なり、「現実の音をそのまま記録すること」自体が表現となっています。
このようなアプローチは、当時の音楽界では極めて珍しく、音楽の概念に対する根本的な問いかけを含んでいました。
ヨーコ・オノは前衛美術の出身であり、日常を芸術に変える「コンセプチュアル・アート」の実践者でした。
その影響が色濃く現れているのがこの作品であり、音楽の素材として「人の声」や「鼓動」「テレビ音声」など、一般に無価値とされる音をあえて選んでいます。
それはまさに、「生きていること」そのものを音で表すという哲学的な挑戦でもありました。
また、ジョン・レノンにとっても、この作品は自らの表現活動の中で“社会性”や“娯楽性”を超えた場所に向かう第一歩であり、純粋なアートの領域に踏み込んだ重要な試みでもあります。
彼は後に、「これはただのノイズじゃない、僕たちの生活の一部なんだ」と語っています。
“私たちは音楽を作ろうとしたんじゃない。生きている音を記録しようとしただけ”(ジョン・レノン)
このアルバムにおける「音」とは、作品でありながら記録でもあり、感情でありながら現実なのです。
それこそが、今なお多くの人を惹きつけるサウンドアートとしての核心だと言えるでしょう。
世間の反応と音楽的評価:当時と現在の比較
『未完成作品第2番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』がリリースされた1969年当時、本作に対する世間の反応は非常に賛否が分かれました。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコという著名なアーティストによる共同作品という注目度の高さとは裏腹に、一般リスナーの多くはその内容に戸惑いを見せたのです。
特にA面「ケンブリッジ1969」に対しては、「理解不能」「音楽ではない」といった辛辣な批評が目立ちました。
一方で、アート志向の評論家や前衛音楽の支持者たちは、既成概念に挑戦したラディカルな姿勢を高く評価しました。
音楽評論誌では「勇気ある試み」と紹介され、ジョンとヨーコの自己表現の純粋性に対する支持も少なくありませんでした。
しかし、セールス面では決して成功とは言えず、当時のビートルズファンの一部からは「ジョンはどこへ向かっているのか?」という疑問の声も挙がっていました。
ところが、現代ではこのアルバムが再評価されつつあります。
現代のリスナーは多様な音楽ジャンルに触れる機会が増え、ノイズミュージックやサウンドスケープといった分野への理解も進んでいるため、本作のアプローチが新たな価値を持ち始めているのです。
アートやフェミニズム、メディア批評の文脈においても、ヨーコ・オノの先駆的な役割に注目が集まっています。
また、ジョン・レノンのアーティストとしての多面性を示す重要な作品としても認識され、音楽史的にも貴重な実験記録として位置づけられるようになりました。
当時の“異端”が、今では“前衛の名作”と呼ばれるようになったことは、この作品の持つ芸術的生命の強さを物語っているのではないでしょうか。
アルバムが語る「ライフ」とは何か?レノンとオノの哲学
『未完成作品第2番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』というタイトルに込められた“ライフ”とは、単なる生活や日常を指すものではありません。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコが伝えようとしたのは、「生きるということのリアリティ」であり、その美しさと残酷さの両方を包み込むような芸術的視点でした。
アルバムの内容には、妊娠、流産、病室での時間、無音、叫び声といった、人間の極めて個人的で感情的な体験がそのまま記録されています。
たとえば、「赤ちゃんの鼓動」に込められた命のリズム、「沈黙の2分間」が語る喪失の静けさ、「放送劇」の雑音に含まれる現代社会の断片。
これらは全て、“生”のあらゆる瞬間を音として留めようとした表現であり、それはジョンとヨーコの実体験そのものでした。
また、「ライオンズ(ライオンたち)」という言葉には、周囲のメディア、社会、批判者たちといった、彼らを取り囲む強大な存在への皮肉や風刺が込められているとも解釈できます。
それでも彼らは、その「ライフ」と共に生き、戦い、芸術に変えたのです。
このアルバムが語る“ライフ”とは、喜びでも悲しみでもなく、ただ「生きている」という事実そのもの。
レノンとオノは、音楽というよりも芸術の手段を通じて、それを世界に投げかけました。
そして今も、聴く人それぞれが、自分の“ライフ”を重ね合わせてこの作品と向き合うことができるのです。
『未完成作品第2番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』まとめ
『未完成作品第2番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコによる極めて個人的かつ実験的な音楽アルバムです。
従来の音楽の枠にとらわれず、「叫び」「沈黙」「胎児の心音」といった素材を用いて、“音”そのものの意味を問い直した作品であり、まさにサウンドアートの先駆けと言える存在です。
1969年のリリース当時には理解されにくい作品でしたが、現在では、芸術的実験としての意義が高く評価され、音楽史における貴重な記録として再発見されています。
本作が描いたのは、ジョンとヨーコが実際に経験した「ライフ」──命の始まりと終わり、愛と喪失、そして周囲の抑圧と闘う姿でした。
それらは、必ずしも「心地よい音楽」ではありませんが、リスナー自身の人生に響く“何か”を持っているのではないでしょうか。
もしこのアルバムに触れる機会があるなら、心を空っぽにして、耳を澄ませてみてください。
“音楽”ではない何かが、きっとあなたの中に残るはずです。
この記事のまとめ
- ジョン・レノンとオノ・ヨーコの実験的アルバム
- 叫び声や心音など日常音が作品の核
- 音楽とアートの境界を越えた表現
- 「生」と「死」のリアリティを音で描写
- 無音やノイズを使った革新的構成
- リリース当時は賛否両論を巻き起こす
- 現在ではサウンドアートとして再評価
- 芸術としての“ライフ”の記録と解釈

